学生時代から語学に興味を持ち英語及びスペイン語を重点的に勉強した。又、宗教上(カトリック)の理由と中学、高校、大学の校風から欧米社会とその考え方への理解を早くから得ることが出来た。

大学時代に運輸省の行なう通訳案内業国家試験(スペイン語)に合格、中南米からのビジネス、観光客などにガイドとして接し、言葉のみならず人間、社会と異文化交流の幅広い経験を得た。

1960年4月三井物産に入社後、4年間営業会計を経験し、厳しい採算マインドの訓練を受けたことが今日まで大いに役立っている。

海外修業生としてメキシコ国立大学で一年間受講、業務を全く離れて、スペイン語とラテンアメリカを勉強する機会に恵まれた。

営業に転出後は世界の重要拠点(米州、欧州、中国、東南亜)に、しばしば業務出張しグローバルなビジネス体験を積んだ。

米国在勤通算20年余になるが、その間1981年には米国総合化学会社の一部門を買収新会社の役員として新たに雇用した米国人を指揮し、米国三井物産関係会社グループで常に上位の優良会社の育成に関わった経験が最も印象深い。

また営業以外に化学品、エネルギー事業のプロジェクト担当として、M &A、Joint Venture、Licensing 等を通じ日本企業の対米進出、支援にも携わった。振り返ると1960年代後半から日本品輸出の先兵として対米輸出に取り組んだことから始まり、ニクソンショック、オイルショック、日米貿易摩擦を経て1980年代の米国企業買収とその後の現地化まで常に現場経験を重ねてきたことになる。

長期駐米経験を全社的に活かす為、1990年2月には米国三井物産渉外担当副社長に任命された。米国(特にニューヨーク)に於ける日本企業の存在が増大するなか、指導的立場にある米国三井物産会長(当時ニューヨーク日本商工会議所会頭)を補佐し政治、経済、及び文化分野での渉外関係を取り仕切った。ニューヨークの日本企業社会を代表する形で米国の諸機関、団体や地域社会との交渉、調整にあたり、様々な困難に直面しながらも、建設的な日米関係の進展に微力を尽くす一方、米国社会での人脈形成に努力した。

1991年10月経団連の広報機関である財団法人経済広報センターが、より効率的な対米広報を目指した米国事務所の設立を決定と同時に三井物産から所長として出向、白紙からの事務所設立を取り仕切り、1992年4月事務所を発足させて以後は広い人脈を活かしつつ、日本の民間経済団体の立場からの対米広報活動に取り組んだ。

1997年通商産業省中小企業事業団海外投資アドヴァイザー(北米)として登録された。

業務と直接の関係はないが、米国生活の理解度と知識を高める為、1989年3月にはニューヨーク州不動産販売免許を取得した。その結果“住い・土地”という最も基本的な問題を通して、米国人の契約、権利、義務に対する考え方から、人権問題、環境問題の重要性や多様なライフスタイルの理解を深めることが出来、米国で仕事をする上で大いに役立っている。

現在次の団体・クラブのメンバーとして会合、スポーツ、社交を通して日米双方のよりよい人脈作りを目指している。

THE ECONOMIC CLUB OF NEW YORK ニューヨーク日本商工会議所
THE JAPAN SOCIETY 日本クラブ
NEW YORK ATHLETIC CLUB 日系人会
PELHAM COUNTRY CLUB ニューヨーク・ソフィア会(元会長)
THE MEADOWS COUNTRY CLUB



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